空白の施術室 安心のシェルター

最近、私の施術室には、学校に行けない、あるいは勉強への意欲を失ってしまったお子さんと、その親御さんが訪れることが増えています。

鳴り止まない、親たちの三つの不安

カウンセリングで、親御さんには名付けようのない「三つの重い不安」が横たわっていると私は感じます

一つ目は、「自分の育て方が、この子の人生を詰ませたのではないか」という自責です。「もっと厳しくすべきだったのか、それとも甘やかしすぎたのか」。過去の自分の選択を一つひとつ掘り返しては、出口のない迷路を彷徨うような日々。その不安は、胸の奥を常に冷たく締め付けます。

二つ目は、「社会のレールから外れたら、二度と戻れない」という孤立感です。「いい学校、いい就職」というモデルが幻想だと頭ではわかっていても、いざ我が子がその「枠」からはみ出そうとすると、圧倒的な恐怖に襲われる。「うちの子だけが、社会のバグ(故障)として取り残されるのではないか」という孤独な戦いです。

三つ目は、「愛しているのに、憎んでしまう」という矛盾のループです。誰よりも幸せを願っているはずなのに、動けない我が子を見るとつい鋭い言葉をぶつけてしまう。そして自己嫌悪に陥り、「なんて最低な親なんだ」と自分を断罪する。愛と憎しみが混ざり合い、逃げ場のない緊張となって心身を削り続けています。

私の「違和感」と、AIとの対話

実を言えば、私自身も同じ世界観でした。表面上、 口では「無理しなくていいよ」と言いながら、心の奥底では「どうにかして学校へ戻るきっかけを」、「勉強させて大学には行かせる」、「社会で孤立しないよう、集団行動を身に着けさせる」と、子どもを「正解」の方へ誘導しようとしていた。その「良かれと思って持つ意図」は、私の手を通じて、見えない「力み」としてお子さんに伝わっていたのだと思います。

そんな折、私はふとしたことでAIを使い始めました。
最初は、すごい知識と論理で答えを出すのが面白かった。
しかし、しばらく触っていると、「違和感」を感じ始めました。
「答えってつまらなくないか?」
「死んだシステムだよね?」
そんな問いや対話をAIと重ねた後、辿り着いた考えが、「答えを出すこと」や「システムを最適化すること」が正義とされる現代において、あえて**「答えを持たないこと」「意図を手放した空白を維持すること」**。
こどもという奇跡の「命」に、どう生きるのか?信頼し任せてみよう。
私が意図を持たず、答えに誘導しない、そんな無重力の空白の中で、命はどんな風に広がろうとするのか?見守ってみようと思いました。

「空白」に流れ込む命

私が「答え」を用意するのをやめると、カウンセリングに変化が起きました。 「この大人は、今までの大人と違うな」と、お子さんは不思議そうな顔を見せるようになりました。 そして親御さんは、溜め込んでいた不安を吐き出すようにしゃべり始めました。

施術が終わる頃、そこには結論や着地点はありません。 ただ、施術が行われ、言葉が流れ出ては消え、私とお子さんと親御さんがいる。

何かが変わったようで、何も変わってないような、不思議な感覚が漂っている。

突然、ある親御さんは、別の兄弟も診て欲しいと連れて来ました。

多分、整体院の空白の中で、既存の教育にはない「何か」を感じとって、それを取り入れたいと感じたかもしれないと思います。

無為楽堂は、そんな「何かが起こるライブ整体院」として、今日も稼働しています。