セッションの表と裏側

セッションで私が対話したこと(表のストーリー)

心ない言葉に傷ついた、ある女の子とのセッション

先日、同級生男子からの心ない悪口に深く傷ついた女の子が、お母さんに連れられてやってきました。 彼女はセッション中にポロポロと泣いてしまうくらい傷ついていました。そこで私が対話したのは、大きく分けて2つの側面です。

  • 1. 悪口を言ってきた男子の背景(なぜ彼はそんなことを言ったのか?) 感情的に相手を責めるのではなく、なぜそのような言葉を言われたのか、客観的なシステムとして分解し、議論しました。
  • 2. なぜその言葉に、自分はここまで傷ついたのか? 彼女自身の価値観のセンサーや、痛みのトリガーがどこにあるのかを、丁寧に見つめ直しました。

彼女はポロポロと涙を流しながらも、言葉少なにで言いました。 「こんなことにめげずに、強くなりたい」

解決策

次に私は、その痛みをどう扱っていくか、具体的な対処法について話を進めました。 「この問題について、お母さんと話し合いたい?」 彼女の答えは「話し合った。でも、自分の力で解決したい」というものでした。

そこで私は、一つの提案をしました。 「一人で解決するのは難しいから、傷ついたことを話せる友達はいる?」 「ひとりだけいる」と答えた彼女に、「じゃあ、その子に相談してみてごらん」と伝えると、彼女は深くうなずいてくれました。

セッションが終わったあと、お母様からラインが届きました。 「セッションに来てよかった、と娘が言っていました」と。彼女の表情に少しでも灯りがともったのなら、これほど嬉しいことはありません。

プロとして私が巡らせていた思考の裏側(アナザーストーリー)

ここまでは、ある日の素晴らしいセッションの「表の物語」です。しかし、私の脳内では、彼女の言葉や涙、そしてその後の行動のデータから、全く別の緊迫した可能性を読み解き、次の準備を始めていました。

私がセッションの裏側で、本当に見ていた景色をお話しします。

1. 「怒り」ではなく「涙」だったという違和感

理不尽な悪口を言われた時、人間の正常な初期防衛システムは「ふざけるな!」という「怒り」です。しかし彼女は怒らず、涙を流した。 これは、「自分には怒る権利すらない」という深い自己否定の中にいるか、あるいは「怒りを出したらさらに孤立する」という過酷な環境に適応した結果、行き場を失った巨大なエネルギーが「涙」に変換されて溢れ出た状態です。私は彼女の「怒りたくても怒れない構造」の脆さを見ていました。怒りはなかなか面に出せないですよね。だから怒りはセッションにおいてポイントになるところです。

2. 極端に振れるシステム(部活を辞めて勉強する)

その後、彼女が「テストが悪かったから、部活を辞めて勉強に専念する」と言い出したと聞きました。以前は「勉強なんかしない」と言っていた彼女が、180度方針転換したのです。 これは前向きな努力というより、「今のダメな自分を丸ごと消し去りたい」という強迫的なリセット願望、あるいは「部活という、また傷つくかもしれない危険地帯から合法的に逃げるための口実」である可能性が高い。彼女は今、「完璧なマシーン」になることで自分を守ろうと、突貫工事で心の鎧(よろい)を作っているかのも知れません。夜中に一人で泣いているのは、そのシステムが限界(オーバーヒート)を迎えているのです。

3. 「折れずにぶつかる」彼女が向かう未来

セッションで「自分を隠すか、貫くか」という問いに、彼女は迷わず「自分を貫く」と言いました。 まわりとの摩擦を柔軟にいなすより、折れずにぶつかりに行こうとしている。この先に私が見据えているのは、彼女が他人や学校とぶつかり、反発し、世間でいう「不良少女(反骨・ドロップアウト)」のような生き方へシフトしていく未来です。

しかし、それは決して悪いことではありません。 大人が先回りして波を穏やかにする必要はないのです。激しくぶつかって、火花を散らしながら自分の境界線を確かめること。これこそが、子どもが大人になるために必要な「命の脱皮(反抗期)」そのものだからです。

今後のために、私たちがしている準備

彼女はこれから、嵐の海へ出航します。その時、お母様と私(当サロン)が敷いているネットワークは、以下のような布陣です。

  • お母様の役割=「絶対に沈まない港」 口は出さないが、目は絶対に離さない。娘がどんな極端な行動に走っても、家庭だけは「存在を丸ごと肯定してくれる場所」として機能し、安心してハラハラ見守ってもらう。
  • 私の役割=「いつでも帰れるドック(修理工場)」 彼女が「自分を貫く」ことに疲弊し、自作の鎧がバキバキに割れてシステムダウンした時、いつでも変わらない温度で「よく戦ってきたね、ちょっと作戦会議しようか」と迎え入れるサードプレイスであり続ける。

「行ってよかった」というあの日の言葉は、ゴールではありません。彼女がこれから始まる壮絶な自己探求の旅へ挑むための、最初のセーフティネットが張られた瞬間に過ぎないのです。

私たちは、子どもたちの「綺麗で扱いやすい成長」だけを望んでいるわけではありません。泥だらけになりながら自分を構築しようとするその生命力を、いつでも最大出力でバックアップする準備をしています。